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サラリーマン奴隷のふとしたことを

読書感想文:学問のすすめ(福沢諭吉)

要約:
 明治維新を経て平等の世の中になった今、国民全員に国の独立を保つことを目的に学問をすることを勧める。学問は囲碁や将棋といったものではなく、世の役に立つ実学をすることを勧める。また、論語読みの論語知らずや自分の家計の金勘定もできない経済学者など、実学をできていない人物にはなってはいけない。さらに、実学をすることで、職を得て衣食住を得て、一身独立することができる。一身の独立を以って、一国の独立は成る。しかし、一身の独立だけにとどまっていては蟻と同じだ。学問の目的は日本人として外国人と競うことにあることを忘れてはいけない。最近は、時期尚早に学問を辞めて仕事に就く人が多くなってきたのではと危惧している。
 また、独立するには、「品格」「判断力」「実行力」「人望」が必要になる。これも学問をしつつ身に付けるのが良い。「品格」とは物事の様子を比較し、上を目指し、自己満足をしないことだ。これは知識を持っているだけでは身につかない。インド、トルコが西洋の奴隷となってしまったのは、国内のみに注目しており「品格」の不足が招いた結果なのだ。また、進歩のためにはガリレオの地動説のように、疑うことが必要になる。物事を信じる、疑うの取捨選択には「判断力」が必要になる。その基準を示すことはできないが、西洋を盲目的に慕うような、信じることと疑うことのバランスを欠いた者が世の中にいるようである。次に、正しいと判断することと、それを実行することは別のことだ。(判断のための)議論ばかりして実行しない「実行力」のない者は不平家に多く、人に嫌われ孤立することが多い。不平を言うのではなく、まずは自分でそれをやってみる、それができなければ、その難しさと重要さを考えよう。最後に「人望」がない者は何もできない。「人望」は知性と徳によって次第に獲得していくものだ。例えば弁活の技術を以ってそれは獲得できる。「円い水晶の玉」を説明するにも、「円い水晶の玉」とだけ話すのと、「丸いというのは角がとれて団子のようになっていることです。水晶とは山から掘り出すガラスのような物で山梨あたりからいくらでも出ます。この水晶でつくった転がる団子のような玉のこと」と解説すれば理解が十分に進む。使って悪いことのない言葉を使わないのは弁舌の技術が不足しているのだ。そして交際を広めて色々な人と接っしていくことだ。

読むきっかけ:
近代史を知り、現代社会を解釈したい。

感想:
 福沢諭吉いわく、学問の目的は外国と競うこと。これは、アジアの国々が次々に西洋列強に支配されていく、明治の時代ならではの発想だっただろう。NHKで「坂の上の雲」を見た時に、主人公のうちの二人は軍人なので、その生き方は「学問のすすめ」の内容を実行した結果だと納得できる。また、封建制から機会平等の社会が訪れた明治の高揚感は「学問のすすめ」によってさらに促進されたろう。
 しかし、時代背景が異なる今、外国と競うことが学問の目的だと言ってもピンとはこない。僕が高校の時に、周りの友人は医者や建築家になりたいという目標をもって勉強していた。なりたい職に就くための勉強だ。でも僕にはあまり強くこの職に就きたいという目標がなかった。
 僕は今はもう金融機関のサラリーマンだ。仕事は楽しくない。新卒の時は、仕事が一番大事、ミッションはなんとしてもやり遂げるのだ、といった使命感があったけれど、今の僕にはそれがない。細切れになったタスクを右から左に運ぶだけだ。それでも仕事をするのは、生活のために他ならない。僕は蟻だ。
 カフカの「変身」を何となく思い出す。蟻であることに不安を感じている。このままではつまらない人生を送ってしまう。家族との生活が楽しければ十分と割り切ることはできない。さて、学問をする必要があるようだ。

余談:
 福沢諭吉は政府に頼ることなく、民間の力をもっと強める必要があるとも主張している。その方法として慶應義塾での学生教育を執った。よく、民間企業の社長の出身校は慶應義塾が1番多いと聞く。福沢諭吉の理念が結果として現代社会の社長数として分かり易く出ている。そういえば僕が働いている会社のトップも慶應義塾出身だ。